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学校へ通うことに苦しんでいる皆さんへ
2022.08.08
なんだりかんだり通信 no.3
夏休み明けに増えてしまう、不登校や登校しぶり。今回のなんだりかんだりでは、ちょっと大きくなった子どもたちに向けて書いてみました。
ー大切なのは、通学ではなく、学び続けることです。ー
不登校は悪いことではないから大丈夫。だけど、次の言葉を覚えておいてください。
大切なのは、通学ではなく、学び続けることです。
台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)
唐鳳(タンフォン:オードリー・タン)さん
新型コロナウィルスの感染拡大を抑え込む対策で、世界中から注目をされ、評価されている台湾の政治家の言葉です。
優れた人の実績に感心すると、どのような教育を受けてきたのだろう、と育ってきた環境を知りたくなります。私だけではなく、きっと多くの人がそうではないでしょうか。
どうして「過去」を知りたくなるのでしょうか。知ろうとするのでしょうか。
優れていると評価される人も、罪を犯してしまった人も、育ってきた環境が「今」の評価に影響を与えていると分かっているからだと思います。
収入と学力偏差値、いじめられた経験とストレス障害、学習障害とコミュニケーション能力、様々な関連性を調査して、傾向を出すことは必要であり、それが今につながっているという結果が出ています。
傾向として、統計学的な視点で見れば、おかれた環境によって同じような考え方や能力、あるいは学力になるということは否定できないのでしょう。
「社会」というかたまりの中では、指標をつくりそれを元に評価や判断をすることは多く存在しますし、その指標がなくなることは、ないだろうと思います。
しかし、おかれた環境が同じでも、必ず同じような人になるわけではないということも分かっています。「今」は過去の積み重ねではあるけれども、自分がやったことの積み重ねであって、周囲(生育環境や収入)がどうであったかは、本来関係のないことです。
そう分かっていても、目の前にいるひとりを「傾向」という膜で覆ってしまったり、悪いレッテルを貼ったりする人はたくさんいます。
またその逆もしかり。自ら「傾向」という膜で覆うことで、傾向の中のひとりとしてしか自分を語れない、語ろうとしない人も多くいます。
膜で覆って人を判断する人はいなくならないだろうし、私もそうならないようにと心がけても、やってしまっていると反省することはたくさんあります。
学校に行かないと「不登校」という膜で覆われてしまいます。
覆われた状態ではなく、その中にいる「自分」を知ってほしいと願っても、膜を破いて知ろうとしてくれる人は多くありません。
ただ、どれだけ外側の膜だけをみて判断されたとしても、中にいる自分は悪いことをしている訳ではない、という気持ちを持つことは大事です。
そして、自分は覆われた膜の中で、どうやって過ごしていくのかということを考える時間が大切です。
大切なのは、通学ではなく、学び続けることです。
唐鳳さんはトランスジェンダーを公表しています。小中学校で不登校を経験し高校に進学していないそうです。
唐鳳さんが生きてきた過程をあなたはどう思いますか?「今」をどう思いますか?
唐鳳さんはこうも言っています。
学校に行かなくてよいということは、学ぶことを辞めてもよいということではありません。
私は学校に行かなければいけないという義務を行使するよりも、自分の意志で学び続けることの方が辛くて大変なことだと思います。
学べる場所は学校以外にもたくさんあります。習得すべきことは学校の勉強以外に、いくらでもあります。好きなことをやり続けることは、学びの継続です。
学び続けたいことを自分の力で見つけて、実行することはとても大変なことだと大人は知っているから、学校に行きなさいといいます。まんべんなくいろいろなことを学べるから。
貼られたレッテルを剥がすことは想像以上に大変なことだと大人は知っているから、つい、先回りして余計なことを言ってしまいます。ほんの少し安心したいから。
学校に行くよりも、自分の意志で学び続けることの方が、大変なことです。それでも学校に行きたくないと思ったら、誰かにその理由をきちんと伝えてください。
学校に行くことをがんばるのではなく、誰かに伝えることをがんばってください。
なぜ学校に行けないのか。
大変な道を歩むことは決して悪いことではないけれど、本当にその道を選んでいいのか、選んだ道をどうやって歩んでいくのか、大人と一緒に考える時間を大切にしてほしいと思います。